経済環境はここに来て一層厳しさを増しています。
みなさんの会社は、この景況の悪化に影響を受けていますか。職場のムードが落ちこんでしまっていますか。
集団内のムードは、結果の好不調に左右されるものです。スポーツも連勝に次ぐ連勝のときは、チーム内は活況を呈します。それまであった監督への不満などはすっかり影を潜め、みんながイケイケになります。
会社だって同じです。右肩上がりで業績が伸びているときは、メンバー同士のコミュニケーションが盛んで、前向きなムードが職場に自然と沸いてきます。
難しいのは不調期です。スポーツでいえば負けがこんできたとき、会社でいえば業績が横ばい、あるいはマイナスに転じたときでしょう。
敗れたからこそ得られる明確な目標
連動して落ちていくムードをどうするか。追い風が向かい風に変わり、メンバーが「まずいな」と思い始めたときに、どれだけそのチーム本来の明るさや、前向きさ、エネルギーを引き出せるか。
逆境においてこそ、底力が問われます。集団の風土が表れるのだと思います。
現在サントリーのラグビーチームを率いている清宮克幸さんが、まだ早稲田大学の監督だったころ、私どもの会社主催のイベントにパネラーとして出演してくださったことがあります。
イベントが始まる前、控え室で清宮さんから次のような趣旨のお話を伺いました。
「弱くなった早稲田ラグビーを復活させること。それが自分に与えられた役割でした。就任1年目の春のオープン戦で、早稲田は前年覇者の関東学院に負けました。ある程度力がついたと思えるようになった矢先の大敗。選手たちにとって、とてもショックな結果でした」
「でも、僕は試合後、意気消沈した彼らに言ったんです。『今回の負けによって、俺たちに何が足りないのか、関東学院との差はどこにあるのか、それがはっきりと認識できた。あとはそれを埋めるだけだ』。選手の顔は見る見るうちに明るくなりましたよ」
その後、早稲田ラグビーは見事に復活。清宮さんの監督在任中、大学選手権優勝3回、準優勝2回という素晴らしい成績を残したわけです。
ムダ・ムラの多かった会社を筋肉質に
インターネットで企業の採用支援をする会社の社長さんから、こんなお話を伺ったこともあります。
「うちには昔、伝説の営業マンがいましてね。彼の口癖は『だから、いいんじゃないですか!』。ある飲食店に営業をかけたとき、オーナーから言われたのです。『この業界じゃ、どこもネットで人材募集なんてやってないよ』。彼はすかさず言った。『だから、いいんじゃないですか! 飲食業界で初めてネットの人材募集に成功した会社になりましょうよ』。結果的が芳しくなく、『ぜんぜん人が集まらないじゃないか!』と怒られた際も、『だから、いいんじゃないですか!これで何がうまくいかないかが全部はっきりしました』と、全部この台詞で切り返しちゃう」
その営業マンは長らく業績トップだったそうです。
先日、コーチングのセッションで製造業の社長さんがおっしゃていたことも紹介しておきましょう。
「鈴木さん、うちの業績もだいぶ景気の影響を受け始めたよ。だけどね、こういうときに足腰を鍛えればいい。好調なときは、ムダやムラがどうしても生まれる。不調のときこそ、筋肉質の会社に作り変えるチャンス。僕はそう思ってるんだよね。長い間経営者をやっていると、こういう危機に何度か出合っている。でも、そのたびに会社は強くなってきたのだからさ」
「会社は強くなる」。この言葉を本当に楽しそうに、屈託のない笑顔で話される様子がとても印象的でした。
「ピンチをチャンスに」はリーダー論でない
否応なく起こっている事象に対するスタンスは、基本的に2つしかありません。
「まずい! ピンチだ!」か。
「やった! チャンスだ!」か。
後者のように捉えられる人は強い。そのように立ち向かえる集団は巻き返しが効く。別にリーダーだけに求められるスタンスではありません。どの役割についている人にも広く求められるあり方です。
「What happened is always best.(起こったことが一番いい)」
これはニューヨーク在住の高僧の講演で聞いたセリフです。捉え方次第でどんな事象も好機になる。高僧はそう伝えたかったのだと、私なりに解釈をしています。今でも私の座右の銘とさせてもらっています。
逆境を好機と捉えることのできるメンバーが増えるほど、景況が悪化したとしても、場の士気やエネルギーは保たれます。
反対に「大変だ」「ピンチだ」「もうだめだ」と捉えるメンバーが多くなれば、場は停滞、衰退します。もし、リーダーがそのように捉えてしまったら、集団の風土は壊滅的な打撃を受けるでしょう。
悪くなり始めたと感じたそのときに、リーダーが「今こそチャンス!」というスタンスを打ち出し、メンバーもそういう心理状態になるのがベストです。捉え直しは早ければ早いほどいい。
では、タイミングを逸し、既に心が疲れてしまっているような場合はどうすればいいか。落ちていくムードはもう仕方ないのか。
事象の捉え方というのは心のあり方次第です。疲れた心で心を変えるのはなかなか難しいことです。そんなときは、体で心を変えてみませんか。
名精神科医が出した処方箋は「山へ向かえ」
ミルトン・エリクソンという1980年に他界したアメリカ人の精神科医がいます。アリゾナのフェニックスにオフィスを構えていた彼は、天才心理療法家として知られていました。治療が難しいと見放された患者さんを次から次へと治していった。
あるとき、うつ病の患者さんが彼のオフィスを訪れます。「あなたなら私を治すことができると思ってやってきました」。うつむいてそう言う。藁にもすがる思いでようやく辿り着いたのだろうと想像できます。そんな患者さんにエリクソンはこう返答したとのことです。
「あなたの治療をしてもいいが、1つだけ条件がある。ここの近くに岩山がある。たぶん登るのに1時間はかかるだろう。今すぐに、このオフィスを出て、その山の頂上まで登り、そしてまた戻ってくることができたら、君の治療を始めてもいい。それができないのなら、他をあたってほしい」
患者さんは一体何を言われているのか理解できません。ただ、エリクソンが本気であるということはわかる。従うしかない。結局、重い体を引きずるようにオフィスを出て行きました。
4時間後、エリクソンのオフィスに戻った患者さんは、4時間前とは比較にならないほど、晴れやかな顔になっていたそうです。
もちろん、山に登るだけでうつ病が治るとエリクソンが思っていたわけではない。体を変えることで、心の状態は大きな影響を受けるということを患者さんに経験してほしかったのでしょう。心が落ち込んだ人は、たいてい視線を下に向けて、とぼとぼ歩いています。上を向いて、背筋を伸ばし、すたすたと歩きながら落ち込むのは、やってみるとわかりますが簡単ではありません。
悲しい声が悲しさを、楽しい声が楽しさを生む
私は、米国の大学院で臨床心理学を勉強しました。修士論文のタイトルは「声のトーンが感情に与える影響について」。
当時、顔の表情がどう感情に影響を与えるかについては多くの論文がありました。表情筋を上げ、「笑い顔」を作るだけで愉快になる。たとえばそういった心理の研究です。最近も、科学の学術誌に、唇だけでボールペンをくわえて漫画を読むよりも、歯の間にボールペンを噛んで(つまり表情筋が引き上げられる状態にして)漫画を読んだ方がより面白く感じるという論文が掲載されました。
で、大学院時代の私が試みたのは、表情だけでなく、自分で発する声のトーンによって感情が影響を受けるのではないかという研究でした。
被験者を3つのグループに分け、それぞれに、悲しい声、イラついた声、楽しそうな声で、あるスクリプトを読んでもらいました。すると、悲しい声で読んだグループは事後の評価で悲しい感情を持っていることを、イラついた声のグループはイラつきを、楽しそうな声のグループは楽しさをそれぞれ報告しました。
悲しいから悲しい声になるのは真ですが、悲しい声を出していると悲しくなるのもまた真であるわけです。
少し心が疲れているなと思ったら、とりあえず、背筋を伸ばす、上を見る、表情筋を引き上げる、高い声を出す、運動をする。そして、ある程度心がすっきりしたら、「だから、いいんじゃないか!」と自分に言ってみる。
経済環境の悪化は楽観できません。しかしだからこそ今は、職場の風土からエネルギーを引き出す、絶好のチャンスなのかもしれません。
(文/鈴木義幸、企画・編集/漆原次郎&連結社)