祖父との別れ [日常生活]
7月14日。祖父が亡くなりました。85歳でした。
ここ数年、1日おきの透析治療と入退院を繰り返し、4月ごろからお医者さんには「いつ亡くなってもおかしくない状態」で、その間、何度も「あぶない」という連絡がきていて、足は私の腕の太さと大して変わらないくらい細くなり、すっかりやせ細ってしまった祖父でしたが、「生きたい」という意志が強かったのもあり、随分、頑張ったなあ~という思いは皆の中にあり、老衰ということで、往生したのではと思います。
生前、最後に会った時は、とても状態がいい時で、姪っ子が手を振るのに応えてにこやかに手を振り、上手だね~と声にだせなくても手をたたいていた顔がとても印象に残っています。幸いなことに、最後の顔が痛みに耐えて泣いていた顔ではなく、そのにこやかな顔だったことは、私の中ではとても大きな記憶になると思います。
基本的に、それほど離れたところに親戚同士が住んでいないというのもあり、年に1回は会っていたのだけど、よく話すという人ではなかったし、いつも遊びにいくと、座って見ていたという印象が強く、残念ながら小さい時の祖父との記憶はあまりない・・です。
大人になってからの記憶で印象的なのは
何のお祝いだったのか、全くお祝い事とは関係なかったかはあいまいだけど、
「(私は)いつも地味なので、たまには派手なものをつけたほうがいいと思って買っておいた」
と言われ、確かに派手なブレスレットをもらったことがありました。普段、何かを買ってもらったことがなく、記憶にある限り、これが祖父からもらった唯一のプレゼントで、その分とても記憶に残っている出来事になっています。
それと、3年半前。結婚式前に和装の白無垢とうちかけ衣装を着て写真だけ撮ったのだけど、その撮影に母親が見せてあげたいというのもあり、祖父母を呼んで写真屋さんに来てもらったことがありました。
その時に、祖父は
「和服が似合う。きれいだよ」
と言ってくれたのを覚えています。
結婚式の招待状の宛名書きも祖父がやってくれました。以前の達筆さはこの時は少し衰えていたけど、「俺がやる」と言ってきかず、その気持ちに感謝しています。
それ以外にも、作曲をしたり、多才で、特にボーリングの腕はプロ並みだったらしく、コツを教えてもらっておけばよかったなあ・・・と思ってます。
病気になってからは、気弱な時は
よく「お前の子供が見れないのは残念だ」
と手紙に必ず書いてきて、病床でも、思い出しては「(私のところの)子供はまだか?」と聞いていたらしく、ひ孫の誕生を楽しみにしていたようです。残念ながらその願いはかなえられてあげられなかったけど・・・。
幼稚園児の時にひいおばあちゃんの葬儀には出ているのだけど、はっきりとした記憶がなく、その後、この年になるまで、親戚の告別式というものに出席したことがなく、今回の祖父の死は私にとっては実質、一番近い人が亡くなった初めての人でした。
湯灌から始まり、納棺、お通夜、翌日は告別式、出棺、火葬、収骨、初七日まで行われました。納棺では思い出の品と祖父らしいトレードマークだったベレー帽と洋服がかけられ、出棺前のお花を入れている時は、一番辛かったけど、最後のお別れとなりました。
それにしても、子供、孫、ひ孫、兄妹、その他の私や両親ですら知らない多くの親戚など、合わせるとかなりの人が最後まで立会い、多くの人に囲まれ、伯父も告別式の挨拶で話していたように、沢山の人に見送られて嬉しかったのではないかと思います。
おじいちゃん、今までありがとう。
天国でも、好きなことを極めて楽しんでね。
残念でしたね。
私の祖母も昨年亡くなったけれど、私はWaternonさん以上に
会った回数も少なく、また思い出も殆どない...。
Waternonさんの文章を見て、多くは語らないけれど、
病床にあっても手紙を書いてくれたりと、根底にあるWaternonさん
へのしっかりとした愛情を感じました。
うちの子達も両家の祖父母に可愛がられています。
子どもたちは、当たり前のように思っているけれど、
いつかWaternonさんのように、それを有難いと思う
気持ちが育ってくれれば..と思います。
by みかん (2008-07-23 19:52)
みかんさん、ありがとう。
遠くに離れているとなかなか会う機会は少なくなってしまうけど、家は皆、関東地方に残っているので、親戚同士の付き合いは小さい時から変わらず続いているほうだと思います。
親戚が大勢集まると、普段は当たり前に感じたりうっとうしかったりすることもあるけど、家族っていいなって思いますね。
みかんさんのお子さんが死を少し意識して理解し始めているように、きっと今でも、沢山の愛情を感じているのではないかな?!まだまだ、これからが楽しみだね!
by waternon (2008-07-24 09:36)